【生後3日で緊急搬送】NICUで始まった、息子との育児のはじまり

障害児育児・通院

2011年7月、あの東日本大震災から4ヶ月後。

少しずつ日常が戻りはじめた頃、私たちに息子が誕生しました。

予定していた無痛分娩はできませんでしたが、夜に陣痛が始まり、夫が立ち会ってくれた中で、深夜2時過ぎに無事出産。

2796gの小さな体に大きな足を持って生まれ、「背が高くなりそうだね」と先生に言われて嬉しかったのを覚えています。

夫が帰ったあと、小さな命を不思議な気持ちで見つめながら、何度もそっと触れました。

不安の始まり

2日目の夜、息子が目を見開いて叫ぶように泣き出しました。

ナースコールで来てくれた助産師さんには「赤ちゃんは色んな泣き方をするもの」と言われ、少し安心して様子を見ることに。

けれど、母親としての直感は拭えず、不安な気持ちを抱えながら朝を迎えました。

突然の救急搬送

朝の診察後、先生から

「赤ちゃんの元気がなく、何も飲まず、体温も下がっている。救急車を呼んでいるが、まだ搬送先が決まらない」と告げられました。

見に行くと、息子は泣き声もあげず保育器の中に…。

すぐに救急車で市立病院へ。そこで夫と合流したものの、状態は改善せず、さらにNICUのある病院へと搬送されました。

「命に関わらない」でも…

たくさんの検査と処置の末、

「低血糖の状態が長く続き、脳にダメージがある可能性が高い」

「痙攣も見られるが、命に関わることはない」と説明を受けました。

その日、息子はNICUへ、私は産院へ戻ることに。

用意されていた祝膳には手をつけられず、心はただ息子のことでいっぱい。

翌朝、すぐに退院してNICUへ向かいました。

小さな体にたくさんの管

NICUで見た息子は、たくさんのチューブや管に囲まれていて…。

涙が止まりませんでした。

抱っこもできず、処置中は外で待機。

けれど、側にいるだけでも、私の気持ちは少し救われました。

唯一できたことは「搾乳」。

初乳は赤ちゃんにとって大切だからと、母乳を届け続けることが私の支えになりました。

少しずつできることが増えていく

1週間ほどで、点滴や口の管が外れ、ようやく抱っこと母乳をあげる許可が。

うまく飲ませられず汗だくになったけど、嬉しくてたまらない時間でした。

授乳前後の体重や、オムツの重さを測って記録する日々。

「もっと早く気づけていたら」と胸が痛むこともありましたが、

この頃から息子の泣き声が力強くなり、少しずつ希望が見えてきました。

医師の言葉に救われて

MRIの結果、脳の側頭葉にダメージがあると分かり、

「将来、視覚に関する障害が出るかもしれない」と説明を受けました。

でも同時に、「新生児期には神経の再生力がある」とも教えていただき、救われた気持ちになりました。

原因は「高インスリン性低血糖症」の疑い。

3時間おきに足の指やかかとから血糖値を測る毎日。

退院前日には私も病院に泊まり込み、測定や育児の練習。

そして約3週間で、ようやく退院できました。

はじめての「家族3人の生活」

NICUにいた間は、顔も分からなくなるんじゃないかと不安でしたが(笑)

看護師さんが撮ってくれた写真が目印になっていて安心しました。

退院の日、息子を連れて自宅に戻り、ようやく「家族」としての生活がスタート。

本当にたくさんの方に支えていただき、今も感謝の気持ちでいっぱいです。

あれから14年──

今、息子は反抗期まっさかり。

衝突することもあるけれど…

NICUで過ごした日々、命をつないでくれた先生方や看護師さんのことを思い出すと

「生きていてくれてありがとう」と改めて感じます。

これからも、小さな変化にも気づけるように。

あのときの後悔を忘れず、でも前向きに、息子と歩んでいきたいです。

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